国沢光宏のホットコラム

2007 クルマの豆知識

Vol.43「クルマの雑学 PartIII ~どうして日本は左側通行なの?編~」

私のような仕事をしていると、年に何回か「なんで日本は左側通行なのか?」という質問を受ける。
ポピュラーな答えの一つに「侍は左側に刀を差しており、すれ違うときにサヤが当たるとトラブルになるため左側通行を長年の慣習としていたから」というものがあり、基本的な合意を得ているようだ。

ただ『東海道五十三次』に代表される当時の風俗を見ると、必ずしも当てはまっていない。右側通行風の絵もたくさんあるからだ。古い絵によれば、江戸時代までの道は行き違うのがやっとという狭さ。
加えて路肩も弱かったため、対向してくる人や乗りモノによって臨機応変な往来をしていたらしい。
また、徳川の世になり参勤交代が始まると、他藩の大名行列とすれ違う際は事前に使者を先行させ、相手の格や禄高などを元に協議。譲り合いの方法をその都度決めていた様子。
したがって「基本的に左側通行だった」という説、概念くらいに理解しておくべきだろう。

ちなみに日本の左側通行を決定付けた理由は、明治政府がイギリスの薫陶を受けたためだと認識されている。フランスを後ろ盾にしていた徳川幕府の方針を、維新以後、明治政府は様々な部分で変更した。
もし幕府軍が勝っていれば、日本も右側通行になっていたかもしれない。
なぜイギリスは左側通行だったのか? これまた「着剣していたため」など諸説あるものの、本来左側通行が歴史の趨勢と認識されている。初めて車輪を使った乗り物で大規模な移動を行ったローマ時代まで遡っても、左側通行だったようだ。参考までに書いておくと、ナポレオンの時代まで(ナポレオンは大陸内での右側通行を定めた最初の人物)ヨーロッパは大陸側を含め、往来方法の右左統一をしていない。
日本にも言える事ながら、昔は山や海や大きな川を越えて移動するのは極めて異例のことだったろう。
地域別に「すれ違う方向」を決めておけば問題は無かったと思われる。ナポレオンの時代以後、高速で移動できる乗り物が登場。事故防止のため往来の方法を決めたというのが真実のようだ。

興味深いのは左側通行の国も案外多いこと。ヨーロッパやアフリカ、オセアニアなどイギリスに縁の深い国の多くで左側通行だし、アジアだってタイ、ミャンマー、インド、バングラディシュは右ハンドルの国である。世界人口に比して30~40%が左側通行国だったりする。
ハンドルの位置は通行方向と関係ない。古いアメリカ車やイタリア車を見ると、基本的に右ハンドル。
右ハンドルで右側通行すると、すれ違う際、安全に路肩ギリギリまで寄れるというメリットを持つ。
道路が整備され路肩が丈夫になったことや「追い越し時やコーナーを走る際に見通しが良い」といった理由により「右側通行の左ハンドルを基本とするようになった」と理解して頂ければよかろう。

二つほど追記を。輸入車の右ハンドルはイギリス車であってもウインカーレバーが左側に付いている。
これはISO(国際標準化機構)の規定になっているためで、古いイギリス車を見ると右側ウインカーレバーとなっています。今後「ISOを遵守すべき!」という意見が強くなれば、日本も左ウインカーになる可能性大。
二つ目。いわゆる先進国で「右ハンドルでも左ハンドルでも登録OK」という国は極めて少ない。
アメリカの場合、郵便配達車以外の右ハンドル車の新規登録を認めておらず。オーストラリアも右ハンドルでないと新規登録出来ない規定になっている。

以上。
このくらい知っていれば、どんな場面でも模範的な回答が出来ると思います。

国沢光宏
国沢光宏 - 昭和33年東京都中野生まれ。

学生時代から自動車専門誌などでレポーターを始め、その後出版社を経てフリーの自動車ジャーナリストに。
著書に「愛車学」(PHP研究所)「ハイブリッド自動車の本」(三推社/講談社)「クルマの寿命を伸ばす本」(同)を始め多数。得意分野は環境問題、次世代の技術解説、新車解説。
毎日1万人が見に来る(KUNISAWA.NET)も好評。

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