スペシャルインタビュー

第7回は、おもちゃだけでなく、さまざまな分野の骨董品や現代アート作品のコレクターとして世界的にも有名な「ブリキのおもちゃ博物館」館長の北原照久さんです。

「アウトドア派でしたが
物へのこだわりは誰よりも強かったですね。」

Q:北原さんは、世界的なおもちゃコレクターとして、あるいはテレビ「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士として、多くの人にその名を知られており、人生をコレクションに捧げてきたというイメージがありますが。

北原照久さん(以下/北原):そうなんですよね。どうも、子供の頃から切手やコインを収集していたようなコレクターのように見られるのですが、実はコレクションを始めたのは、大人になってからなんです。

Q:子供の頃は、コレクションにはそれほど興味をお持ちではなかったのですか?

北原:まったく興味が無かったですね。どちらかと言えば外を走り回っているタイプの子供でした。

Q:東京の京橋のご出身とお聞きしました。都心のど真ん中ですね。

北原:京橋と言っても僕が育った頃は下町で、平屋の家並みが多かったものですから、家々の屋根を飛び回って遊んでいて、よく親に叱られたものです。

Q:しかも、ご実家がスポーツ用品店ということですが。

北原:そうですね、スキーの専門店です。それもあって、どちらかと言えばアウトドア派。特にスキーは自分でも大好きで、少し大きくなってからはお店のスキーツアーに同行してスキー場でお客さんにレッスンをしていたほどです。
それが高じて大学時代にオーストリアにスキー留学をしたのですが、その時にはスキーだけじゃなく、古い時計や生活骨董品といった現地のさまざまな文化に触れていろいろ触発されました。

Q:それがコレクター北原照久の原点ですか。

北原:いや、それはひとつのきっかけのようなものですね。コレクション趣味はなかったと言いましたが、物に対するこだわりは子供の頃から強かったです。
小学生の頃、京橋の明治屋で見た外国製の万年筆に一目惚れして、お小遣いをずっと溜めてやっと買いました。特に文字を書くのが好きとか、それで何かを書きたいと思ったわけではなく、その万年筆の装飾というか色合いが僕の琴線に触れたんですね。
当時の外国製の万年筆ですから、大人が買うにしても高価な物だったと思います。それでも必死にお小遣いを節約して買いました。

Q:その時には、万年筆や筆記具をいろいろ集めてみようとは思わなかったのですか。

北原:思いませんでしたねぇ。それ一本を大切にしていました。他にも欲しいと思って手に入れたものはありますけれど、いくつも買い集めるということはありませんでした。

「一人の人との出会いが
僕の人生を大きく変えることになりました。」

Q:そんな北原さんがコレクションに目覚めたきっかけは何だったのでしょうか。

北原:ヤノマンとの出会いです。

Q:ヤノマン?

北原:アートディレクターの矢野雅幸さんです。僕が25歳の時、あるインテリア雑誌に彼が載っていたんです。部屋一面に飾られたブリキのおもちゃに囲まれて笑っている姿に一目惚れしたんですね(笑)。居ても立っていられずに雑誌社に電話して紹介してもらいました。

Q:突然会いに行ったのですか。

北原:会いに行きました。世田谷のアパートでした。彼との出会いが、その後の僕の人生を決めたと言ってもいいでしょうね。
会った途端にすっかり意気投合して、その後は時間さえあれば都内のおもちゃ屋さんや問屋を回って、休日にはクルマで地方まで出向いてブリキのおもちゃを探し回りました。
その頃のことは、『ゴールドラッシュ風雲篇』という本になって、その後舞台化もされているんです。

Q:まさに運命の出会いですね。矢野さんと出会って、何が変わったのでしょう。

北原:それまでは気に入った物をただ手に入れれば満足していたのですが、ヤノマンに出会って好きな物に囲まれて生きていく幸せを知ったんです。そういう意味ではただコレクションの面白さを知ったと言うよりも、もうひとつの生き方を知ったと言ってもいいでしょうね。

「大切なのは琴線に触れること。
自分の気持ちが判断基準です。」

Q:当時はまだ世の中ではブリキのおもちゃに対する評価は低かったですよね。

北原:低いと言うより無かったですね(笑)。ただの時代遅れの古くさいおもちゃですからね。
でも、誰も注目していなかったからこそ手に入れやすかったですね。今では、みんなが注目するようになって買おうと思うとプレミアが付いて高くなっています。数万円なんて価格が当たり前に付いていますが、当時は定価というか、こんなもの欲しかったら持っていって良いよ、というくらいの感じでしたからね。

Q:ブリキのおもちゃに惹かれたのは矢野さんの影響ですか。

北原:ブリキのおもちゃ自体は昔から好きで、いくつか持っていました。それは万年筆と一緒ですね、琴線に触れたということです。

Q:子供の頃の「これが欲しい」という感覚で、そのまま世界的なコレクターになっているということですか。

北原:ブリキのおもちゃもその価値が認められるようになって、世界的に有名なサザビーズのオークションにまで出品されるようになりました。数十万円数百万円というのも珍しくありません。
でも、僕は自分のコレクションを売りに出したことが一度も無いんですよ。
ひとつひとつ一期一会で、出会った瞬間にピンっときて手に入れたものですから、自分の子供のようなものです。

Q:北原さんとしては、手放すことは考えられないということですね。

北原:考えられませんね。よく、お気に入りはどれですかと聞かれますが、持っているものすべてがお気に入りなんです。
集めている物もブリキのおもちゃだけではありません。セルロイドのおもちゃ、アンティークな時計や日用雑貨、家具、ポスターなど、ジャンルに関係なくさまざまなものを集めています。
現在、博物館を含めて全国7カ所で常設展示をしていますが、それではぜんぜん展示しきれなくて、ほとんどが倉庫で眠っている状態です。

「KURE 5-56 は、
おもちゃに命を吹き込んでくれます。」

Q:そうなると管理も大変ですね。

北原:大変です。現在は会社のスタッフもいますし、専門の方にもメンテナンスをしてもらっていますが、以前は自分一人でやっていましたのでそれは大変でした。でも、それも楽しみのひとつなんですけれどね(笑)。

Q:金属物のお手入れにKURE 5-56 をお使いとお聞きしました。

北原:もう必需品ですね。基本的に使用済み品ではなく箱付の未使用品を探してコレクションしているのですが、それでも古い物が多いので小さなサビなどは日常茶飯事です。小さな動力で複雑な動きをするおもちゃが多いので、小さなサビも大きな影響があるんですね。

Q:そういう時にKURE 5-56 が役立つのですね。

北原:そうなんです。ほんの少し付けるだけでシッカリ効いてくれるので、細かい部分の調整にもとても便利ですね。
中には経年変化で動かなくなったおもちゃもありますけれど、KURE 5-56 を使うことで新品のように動き出すことが多くあります。
まるでKURE 5-56 がおもちゃに命を吹き込んでくれたような感じです。

Q:コレクションの管理以外にもKURE 5-56 はお使いになりますか。

北原:これもコレクションと言えばコレクションですが、古いクルマが好きでいくつか所有していますが、その管理にも必需品です。
それから自宅の家具はアール・デコ時代の骨董家具が多いのですが、やはり古い物なので金属部分の動きが悪くなったりしますので日常的に使っていますね。

「人ができたことは自分もできる、
それが私の行動のベースです。」

Q:これからもまだまだ北原さんと琴線に触れる物の出会いは続きそうですね。

北原:まだまだ知らない世界が多いと思っています。例えば見る角度を変えると、普通の置物が春画のような大人の世界を展開する大正から昭和初期「和印」も新しく発見した物のひとつです。
また古い物だけでなく、現代の造形作家の作品などにも気になるものがたくさんあって有名無名に関わらず収集しています。

Q:北原さんの興味は尽きることを知りませんね。

北原:コレクションだけではないんですよね。50歳を過ぎてからギターや、サーフィン、ゴルフを始めて、60歳を過ぎてからピアノやマジックを始めました。
ゴルフは一応シングルまでいきましたし、楽器も一般の皆さんからお金をいただいて演奏できるくらいにまでなりました。
基本的に他の人ができたことは自分もできると思っているものですから、これからもどんどん挑戦していきたいと思っています。

研ぎ澄まされたご自身の感性に絶対の信頼を寄せつつ、常に新しい世界へのアンテナを張り巡らし果敢に挑戦していくバイタリティ。それはさらに広がる北原ワールドの源泉となっているようです。北原照久さんの今後から目が離せません。

Profile

北原照久

北原 照久(きたはら てるひさ)
1948年東京生まれ。 1986年4月 横浜山手に「ブリキのおもちゃ博物館」を開館。
1994年4月より「開運!なんでも鑑定団」(テレビ東京系列)出演中
2003年11月より6年間、フロリダ州ディズニーワールドにて「Tin Toy Stories Made in Japan」を開催
2007年「横浜文化賞」受賞 「ベストジーニスト賞」受賞
2008年より日本おもちゃ大賞審査委員長
2009年4月よりテレビ東京番組審議委員に就任
2016年「グッドエイジャー賞」受賞
2016年「ジャパンシガーアワード」受賞
東京2020オリンピック・パラリンピックマスコット審査会委員。

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